日本に帰国しております。
お暇でしたら、どこぞなりともお会いできたら・・・。
お盆と母方の祖母の命日ということで、母と伯母が墓参するというので付いていきました。
うちから東へ10分ほど歩いたところに母の実家はあり、昔から付き合いのある家が周りにあって、
そして、墓は、うちから北西に歩いて10分もかからないところにあります。
お墓に行くのは覚えている限り、これで2回目、もしかしたら25年ぶりぐらいかもしれません。
墓が現在の場所にあるのは、昭和のはじめに筑後川の土手を改修した際に転移されてからのようで、小さい墓地ですが、小学生のころにあそこの家の何とかちゃんはと話していたような家々のお墓もあって、なんだかあちら側でも、ご近所付き合いは続いているかのようでした。
墓の一部分に由緒が彫ってあり、最初に是従九百有余年、うんぬんうんぬんで、最後のほうには廿六代との記述…。 (むかーしむかしで、真偽の確かめようがないのですが、近くのお寺は14世紀後半の大原の合戦を機に開山していることからすると、それより古いってどうだかなと…よく分かりません。)
個人個体の背景には、10代さかのぼっただけで2048人の父母(1024組の親)のリレーがあります。そして、ずるして計算せずにインターネットで検索しましたが、20代さかのぼるとどうやら209万7150人の親になるらしいのです。 >>> (あくまで単純計算で、リンク先の回答されている方が指摘されているように、同族結婚などで先祖が一致している場合が考えられるので、実際は少なくなるのでしょう。)
大野一雄先生が「死者の恩恵のなかで踊っている」としばしば言ったように、生命誕生から今ここにあるいのちまでの一縷のつながりであっても、それこそ無量無数のセイとシが参加してきて成立している。
墓の下にはたくさんの骨が収めされていると、墓の前で草を取りつつ、聞いて、私のような根無し草には、この土地に先祖たちが関わりあって生きていた、そして今生きているものたちがいる、「家」+「族」ということに今更気づかされて、へらへらと楽に現代社会に生きていられる自分の存在なのに、彼らの愛情とサクリファイスに縁取られているようで、しみじみ申し訳なく、ありがたく、そして同時に、先祖だけでなくて、生命体非生命体こもごもがお互いに影響しあって、一時のエネルギーを交換し合って、光陰のなか出没している日常をもう一度確認する。
お盆という日。
この夏は、光と陰影の差が大きくて、慣れないものだから、ぶれてしまう。

ある蝉の死。
